| 食の雑学 唐辛子伝来の歴史 補足03 |
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![]() 徐兢著 朴尚得訳 国書刊行会 ![]() 茶番早合点 式亭三馬著の挿絵 山くじら ![]() ![]() 乱中日記〈3〉壬辰倭乱の記録 李 舜臣著 東洋文庫 |
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| 唐辛子(トウガラシ)日本伝来説に異論 | ||||||||||
![]() 文禄・慶長の役(1592~1598年) 海上での合戦図 |
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| 韓国食品研究所 日本伝来説を覆す?研究結果を発表 | ||||||||||
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韓国料理の「辛味」を象徴するトウガラシについて、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)以前から韓国で食されていた、という研究結果が発表された。 これは、トウガラシが壬辰倭乱の際に日本から持ち込まれたという歴史学界の通説を覆すものだ。これまで食品業界は、「三国時代以前から韓国ではキムチを漬けて食べてきたのに、材料のトウガラシが壬辰倭乱のときに入ってきたという学説は理にかなわない」と疑問を提起していた。 韓国食品研究院の権大泳(クォン・デヨン)博士と韓国学中央研究院のチョン・ギョンラン責任研究員は18日、壬辰倭乱以前に既にトウガラシを食べ、コチュジャン(唐辛子みそ)を漬けていたという古い資料を多数発見したと発表した。権博士のチームは「壬辰倭乱より105年前の1487年に発刊された『救急簡易方』には、体の具合が悪いとき“トウガラシ(椒)を煮て食べよ”という記述があり、1527年の『訓蒙字会』でも“椒”を“トウガラシ”と明記している」と発表した。また1433年の『郷薬集成方』や1460年の『食療纂要』では、コチュジャンを「椒醤」と表現していた。 トウガラシ日本伝来説の内容は、イタリアの探検家コロンブスが「aji」と呼ばれるトウガラシを中央アメリカからヨーロッパに持ち込んだ後、日本を経由して韓国・中国・インドに伝わったというものだ。 権博士のチームは「唐の文献にコチュジャンに関する記録がある上、日本の文献にはトウガラシが韓国から伝来したと記されている」と語った。 ぺ・ソンギュ記者 朝鮮日報日本語版 2009/02/19 11:40:36 ●韓国食品研究院(Korea Food Research Institute) ●壬辰倭乱:文禄・慶長の役(1592~1598年) |
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![]() 侵攻する秀吉軍を苦しめたとされる朝鮮軍の亀甲船(左)の想像図と加藤清正の軍船 |
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これまで食品業界は、「三国時代以前から韓国ではキムチを漬けて食べてきたのに、材料の唐辛子が壬辰倭乱のときに入ってきたという学説は理にかなわないと疑問を提起していた。」とありますが、朝鮮の文献「芝峰縲絏」には唐辛子が「倭国から来た南蛮椒」と明記されています。このことは「食の雑学 キムチの起源」にも書いてありますので、そちらをお読み下さい。 また、唐辛子が中国に伝わったのが明朝末期とされていますので、この研究チームの発表は大いに????です。 ハングルは発音によって表記される表音文字で、似た発音のもの同士が混同されやすい欠点があります。因みに漢字は象形文字が発達した表意文字(ひらがなやカタカナは別)で、「字」がそれぞれの意味を表し、的確にその意味するところを特定できます。 「唐の文献にコチュジャンに関する記録がある上、日本の文献には唐辛子が韓国から伝来したと記されている」とも語っていますが、果たしてこれはそのまま信じていいのでしょうか。 漢文で書かれた文献からどのように「椒醤」とコチュジャン(唐辛子味噌)とが同じものと判断したのかは不明です。因みに味噌の「噌」は日本の国字です。 ハングルという文字は、15世紀になって世宗が発明した文字で、朝鮮は文明国中で最も文字の創出が遅かった国で、当時の宗主国であった「中国」の威光には逆らえず、朝廷に仕える両班(ヤンバン)がハングルの使用を認めず、その後もずっとハングルは表舞台では使われることはありませんでした。例外として、仏教の経典や、婦女子のみに許されていました。 この状況は李氏朝鮮末期まで続き、朝鮮半島最後の専制君主国大韓帝国になり、初めてハングルのみによる「独立新聞」(1896年)が発刊され、民族的主体性を覚醒させる大きな一石を投じます。しかし、これも普及に至ることはありませんでした。異論もありますが、私はその理由として「識字率の低さ」だと考えています。 実際にハングルが朝鮮半島に普及したのは、日韓併合時代で、当時100校にも満たなかった小学校がこの期間中に5000校近く建てられ、ハングル教育が盛んに行われています。 |
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コロンブスの新大陸発見は、学校時代に語呂合わせで覚えた「い(1)よ(4)く(9)に(2) 燃えるコロンブス」が示すとおり、西暦の1492年です。コロンブスの帰国で唐辛子はトマト、ジャガイモ、煙草と共に始めてヨーロッパに知られました。 同じ頃、梅毒もヨーロッパに渡り、その後約20年程で日本にも伝来しています。(なんと国際交流の盛んなことか…) と言うことで、唐辛子の日本への伝来は1492年以降であることは揺るがない事実です。それ以前に朝鮮半島に唐辛子が存在できる筈がないのは誰しもが納得できる筈です。 韓国食品研究院の研究では、韓国の唐辛子はコロンブスが持ち帰った「aji」と呼ぶ唐辛子とは別物で、古来より朝鮮半島にあるものだと主張しています。記録魔の中国の文献にもこの手の記述は今もって発見されたとは聞きません。唐辛子が中国に伝わったのが明朝末期ですので明らかな矛盾です。 韓国の学会の悲しい現実ですが、「漢字」を理解できないが為にこの種の誤解が多く生まれているようです。もうそろそろ何でも「韓国起源説」のウリジナルは慎みたいものです。 いずれにしても、どこから来てどこへ行ったかは大した問題ではありません。現在の形のキムチ(唐辛子やニンニク、魚介類を多用した)の生みの親は紛れも無く朝鮮半島ですし、ラーメンの故郷は日本なのです。 ●薬膳の書(椒って山椒のこと?):山椒の薬効 山椒なら煮込んで飲めても、体の具合が悪い時に唐辛子を煮込んで飲めるとは思えませんが… |
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カムジャ湯は韓国で大変に人気の高いメニューで、豚の肉付きの背骨をジャガイモや各種の野菜類と一緒に煮込んだ、男の為の鍋料理だそうで、背骨に付いた肉を食べながら、アツアツのスープを頂く、寒い季節には欠かせない料理の一つです。このカムジャ湯が「1000年以上前から食べられていた」とする記述がネット上にあり全く呆れます。 ジャガイモはトマトや唐辛子と共に、コロンブスの新大陸発見によってヨーロッパにもたらされ、それが植民地政策で世界各地に伝播して行きました。日本へは1580年にジャワからポルトガル人により長崎にもたらされています。故にジャガイモは当初ジャガタラ芋とも呼ばれていました。 また、カムジャタンの材料の一つである「玉ねぎ」は、原産地がウズベキスタンだと言われ、中国へは清朝になってから、また日本へは明治10年頃と言われている比較的新しい野菜です。 また更に、朝鮮半島で肉はハレ食で、一部の金持ちを除き滅多に口にできるものではありませんでした。1000年以上も前の三国時代に大々的に養豚がされていたとは考え難く、ましてや19世紀になり朝鮮半島に伝わったジャガイモや唐辛子、玉ねぎがこの時代に既に使われていたとは、全くもって話しにもなりません。なお更に、このカムジャタンは残った汁をご飯とともに頂くのが醍醐味ですが、朝鮮半島には元々米食文化はありません。米食が当たり前になったのは、日本の植民後で、稲の品種改良により飛躍的に米作が伸びた後のことです。 日本の稲の品種改良技術は大変優れ、奈良~鎌倉時代には飛躍的に向上し、飛鳥時代には既に籾の選別技術が確立していました。 朝鮮を併合した時に日本より移入した耕作技術で、米の単位収穫量が併合前に比べて2.2倍と飛躍的に増加しています。単位収穫量の増加は生活の安定をもたらし、ある研究資料によると、一日あたりの摂取カロリーが400キロカロリー、タンパク質が7gも増えたと報告されています。この栄養状態の改善により、この後、朝鮮の人口は2倍以上に増加しています。 観賞用の植物としてヨーロッパに持ち込まれたジャガイモが、食用になると判り、家畜(主に豚)のエサや奴隷の食糧として使用され、ヨーロッパの人口は急激に増加し、繁栄の時期を迎えます。 件の「カムジャタンは1000年以上の歴史?」の元ネタは朝日新聞 2006年07月18日の現地支局の記事が発端のようです。当該記事は既にネット上からは削除されています。右サイドバーのカムジャタンは1000年の歴史?が記事の掲載された「食在遠近」の画像で、下がその記事の全文です。 辛くて濃厚、ジャガイモ鍋、カムジャタン(韓国) 2006年7月18日 カムジャはジャガイモ。タンは汁もの。つまり「ジャガ鍋」。 思い出がある。ソウルで留学していた5年前、会話のテストで女性の先生から「好きな食べ物は?」と聞かれて「カムジャタン」と答えたら、先生は「ああ、それは男同士が酒を飲んで食べるもの。私は食べたことがないから味を知らない」。気まずい沈黙が訪れた。 当時は確かに男っぽい印象があったが、今は、はしで挟めないほど大きな豚骨のすきまの肉に女性もしゃぶりつく。赤いスープは辛くて濃厚。残った汁を白飯といためれば最高だ。1000年以上前に南部で生まれたとされ、全国どこにでもある。 町工場が連なるソウル市城東区の「豊味(プンミ)カムジャタン」は安さと味が評判で、ベトナムや中国の労働者も多い。趙前衍(チョン・ソンヨン)さん(43)が、夫が交通事故でけがをして退職したのを機に4年前、夫婦で始めた。「得意な1品で味を究めたくて。特徴は牛でとるダシと軟らかい豚肉、国産野菜のこだわりかな」 昨年までは1人前2900ウォン(約350円)。カウンターに助け合い募金箱を置いた。客はおつりの100ウォンを入れてくれた。豚肉の高騰でやむなく3500ウォンに値上げしたが、今度は下町の得意客は500ウォン玉を入れてくれるようになった。(市川速水) 【作り方】(5人前)豚の脊椎(せきつい)骨2キロ、ジャガイモ8個、ニンニク3~4個、長ネギ、玉ねぎ。血抜きした肉とネギ類を水から約1時間煮る。ミソや粉唐辛子、コチュジャンを混ぜたタレとイモを加え弱~中火で1時間。エゴマの葉やエノキなども。 |
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![]() 海印寺 蔵経板殿 |
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仏教を建国理念とする高麗が作成した海印寺の「高麗八万大蔵経」は、大蔵経の中でも最高峰と言われ、1011年から77年間の歳月をかけ、1087年に完成しますが、1232年の元の侵攻により焼失し、再び1236年から 16年を費やし、1251年に現在の「高麗八万大蔵経」を完成させています。 仏の加護によって元の侵略から国を守ろうとした高麗ですが、1231年に開始された元の侵略により、1270年に元に屈伏することになります。 この高麗が仏教国であるが故に、度々動物の屠殺禁止令が出され、元が支配する以前に高麗人に肉食の習慣はあまり見られなかったようです。 元の侵略に伴い、モンゴル人の肉食の習慣が半島に伝わったと言われています。つまり、カムジャタンのような肉料理が三国時代に生まれ広く食される素地は、ジャガイモの伝来云々を別としても、あり得ない訳です。韓国の肉食の起源は元による占領の時代からだと考えるのが妥当なようです。 ところが、「宣和奉使高麗図経」(1123) には、「仏を敬い、殺生を戒めるため、国王・大臣くらいしか肉を食べない」という記述があるのと同時に、動物の屠殺・調理法も「宣和奉使高麗図経」には書かれ、「四つの足を縛り、火に投げ出す。死ぬのを待ち毛を毟り、洗う。息を吹き返すときは棒で殴り殺す。その後内臓を取り出すが、汚物が漏れてしまうため臭くてとても食べられない」…いつの世もそうですが陰に隠れて禁を犯す者はいるようです。 下は韓国の人が昔から肉食をしていた根拠の一つとして示されることが多い、朝鮮王朝後期を代表する画家「金弘道」が描いた絵です。 肉鍋を囲む男女が描かれていますが、この時代の男尊女卑が酷い中で、男女が同じ食卓を囲み食事したとは到底思えません。 儒教が正式な国教になったのは朝鮮王朝時代で、李成桂(1335-1408)の軍事クーデターにより政権を握り、 その権力維持のために仏教を排し、権力者にとっては甚だ都合の良い儒教を導入したと言われています。高麗時代と比べ男女間の差別は増大したと考えられます。するとこの絵は何なのでしょうか。 注目は皆が囲んでいる鍋で、これは「林園十六志」(1827年)によると「日本から来たもの」と書かれています。この絵からすると、鍋を囲む人たちは一般庶民には見えません、恐らくは特権階級の人たちだと思えます。庶民には着色した服は結婚式以外では許されていませんでした。 |
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一部の特権階級のみにより支配され、民の権利が大きく制限された朝鮮時代は、高麗時代に建国の理念とされた仏教を廃し、支配者にとっては甚だ都合の良い儒教を取り入れたことにより、男女間の差別はより激しいものになり、民の生活もまた更に窮することになったようです。現在の繁栄したソウル市と比較すると、これが同じ首都とはとても信じられません。 |
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| 日韓併合当時の南大門(左)と首都ソウルの景観(右) 画像をクリックすると拡大表示します | ||||||||||
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私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興[中国浙江省北部の県]の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた!大都市、首都にしてはそのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。その結果、二十五万人と見積もられている人びとが「地べた」、主として迷路のような路地で暮らしている。その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたどぶと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。 イザベラ・バード著「朝鮮奥地紀行」(朴尚得訳)平凡社, 1993年. 上巻, p71-72より抜粋 Isabella L. Bird, Korea and Her Neighbours: A Narrative of Travel, with an Account of the Recent Vicissitudes and Present Position of the Country, 1898. |
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| ● ジャガイモと馬鈴薯は別物です!は食のざ雑学その13として別ページに移動しました | ||||||||||
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